ドイツ陸軍(ドイツりくぐん)とは、ドイツの地上軍の名称である。ドイツは海洋国家ではないので、軍隊といえば陸軍を意味すると言って良い。本項では主に第二次世界大戦におけるドイツ国防軍の一軍種である陸軍について述べる。ドイツ海軍、ドイツ空軍、武装親衛隊については別項参照。
第二次世界大戦中に電撃戦やパックフロント、パンツァーカイルなど多くの新戦術を生み出し、開戦時の緒戦では圧倒的優位にあったが、大戦後期には物量の差により連合軍に敗北した。
名称は帝政ドイツ時代から第二次世界大戦後にかけて下記のように変遷した。
Kaiserliche Armee, Deutsches Heer (ドイツ皇帝の軍隊):帝政ドイツ時代(1871年?1919年)
Reichsheer (第一次世界大戦敗北からヴェルサイユ条約破棄までの名称):1919年?1935年
Heer (ヴェルサイユ条約を破棄した1935年に歴史的な名称に戻された):ナチス・ドイツ時代(1935年?1945年)
Landstreitkräfte (社会主義の東ドイツ時代:伝統的な名称を避けている。地上軍、英語に訳せば"Ground armed forces"):ドイツ民主共和国(1956年?1990年)
Heer (歴史的な名称を使用している):ドイツ連邦共和国時代(1955年?)
第二次世界大戦までの道程
ヴェルサイユ条約はドイツ陸軍に次のような制約を課した。
編制する師団の上限は7個歩兵師団、3個騎兵師団
軍司令部は2個まで、参謀本部は組織してはならない
兵力10万人まで、うち士官は4000人まで
また戦車の保有も禁止されていたが、戦車に関する研究は1920年代から続けられており、1931年から快速部隊兵監(Inspekteur der Schnelltruppen)オスヴァルト・ルッツ(Oswald Lutz)少将とハインツ・グデーリアン中佐が中心となって、戦車部隊の運用研究に取り組んでいた。農業用トラクターの名目で1号戦車が開発され、製造業者に戦車の開発、量産のノウハウを習得させた。乗員はソ連との密約によりソ連の奥地カザンで養成されていた。1号戦車の正式発注はヒトラー政権の誕生した1933年であった。
1935年ヒトラーはヴェルサイユ条約を破棄し、再軍備を宣言、非武装地帯であるフランス国境のラインラントに軍を進めた(ラインラント進駐)。この時に英仏は戦争も辞さじと確固たる意志を表明しなかった。兵を送らなかったのである。ヒトラーはこの時のことを「自分の一生の中で最も神経を痛めた」と、回想している。 ドイツはこれ以降主権回復の要求をエスカレートさせる。
陸軍上層部には、プロイセン陸軍以来の貴族階級(ユンカー:ドイツ騎士団の伝統を汲む地主の子弟)が多く、軍の地位が脅かされない限り、政治には中立的であった。しかしチェコスロバキア領内のドイツ人の多く居住するズデーテンラントのドイツ帰属を巡ったヒトラーが戦争も辞せずとイギリス・フランスと対立した1938年に戦争準備が充分でないとする陸軍参謀総長ルートヴィヒ・ベック大将を中心とする政府転覆計画が練られたが、英仏の譲歩により計画実施には至らなかった。
ポーランドへの侵攻を行った1939年9月時点でも、英仏の譲歩が予想されていた。これがイギリス・フランスとの長期にわたる戦争につながるとは誰も予想してい
大戦初期
ポーランド戦
初戦であるポーランド侵攻では、電撃戦による圧倒的な攻勢を見せ、『東欧の大国』ポーランドを僅か27日で降伏に至らしめた。 また当時世界最強と謳われていた騎兵旅団「ポモルスカ」を全滅させ、第一次世界大戦についで、戦車の力を世界に知らしめた。
フランス戦
その後のフランス戦では、フランスの誇る防衛ライン『マジノ線』を迂回し、ベルギー、ルクセンブルクを通り、フランスが通行不可能としていたアルデンヌの森を楽々と通過し、フランス国内を攻撃、英仏軍を僅かな期間で殲滅し、戦闘開始から一ヶ月半で大国フランスを降伏させた。
イギリス・バルカン半島
フランス降伏後、ドイツはイギリス本土上陸を計画したが、空軍によるイギリス本土攻撃(バトル・オブ・ブリテン)が失敗したため果たせなかった。まだその帰趨も明らかでなかった8月のうちに、スペインに領内通過を求めて英領ジブラルタルを攻略する計画も起草されたが、スペインの同意を得られず同年末までに立ち消えとなった。しかしそれらすべてと並行して、ヒトラーは同年7月末からソ連侵攻計画(バルバロッサ作戦)の検討も命じていた。
しかしイタリア軍のギリシャでの敗退により、1941年春、ドイツ軍はバルカン半島制圧に向かった。バルカン半島での戦闘は僅か3週間で決着が付いたが、バルカン侵攻はヒトラーにとって戦略上の大誤算であり、その後の対ソ連戦略に大きな影を落とした。
1940年8月から10月までに編成された歩兵師団群は、あらゆる任務に適するドイツ歩兵師団としては事実上最後のものとなった。1941年以降に編成された歩兵師団はフランス沿岸などの防衛用に戦力を削られたもので、それ以前に編成された師団を一つでも多く前線に送り出す交代用の師団か、壊滅した師団の兵員を中核とする再建師団であったから、ドイツの動員力はこのころひとつの限界に突き当たったと言えよう。戦時経済もこのころを境に、総力戦体制へと最後の傾斜を始める。
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